アーネスト・ヘミングウェイEarnest Hemingway(1899-1961)

◆作家のプロフィール

生誕地のプロフィール  アーネスト・ヘミングウェイは、1899年7月21日、シカゴ(Chicago)郊外の中流住宅地オーク・パーク(Oak Park)に、内科医の父クラレンス(Clarence)、母グレース・ホール(Grace Hall)の長男として生まれる。
父の趣味、ヘミングウェイ生涯の趣味となった。ハイスクールではオーケストラ、ディベート、フットボール、ボクシング、山歩き、銃器に凝り、親友の頭を危うくショットガンで吹っ飛ばしかけたこともある。学校新聞の編集を手がけ、これが後年の記者生活の端諸となる。この時期のことは、ニック・アダムス(Nick Adams)を主人公にした短編集『われらの時代に』(In Our Time,1925)に描かれている。
オークパーク時代の彼の動静を知るには、毎年彼の誕生日前後に開かれる「フィエスタ・デ・ヘミングウェイ(Fiesta de Hemingway)」が参考になる。

作家活動に入るまでの経歴
中西部アメリカの窮屈な生活を嫌ったヘミングウェイはハイスクール卒業後オーク・パークを去り、『キャンザス・シティ・スター』紙(Kansas City Star)の記者になる。
1917年アメリカが第一次世界大戦に参戦したときに志願するが、少年時代のボクシングで受けた目の傷ではねられ、1918年アメリカ赤十字の救急車運転手としてイタリア参戦に出た。19歳の誕生日目前の1918年7月8日白砲弾を被弾、100余の破片を摘出するため12回もの手術を経る。この時の入院生活で知り合った年上の看護婦アグネス・フォン・クーロウスキー(Agnes von Kurowsky)との恋愛が、『武士よさらば』(A Farewell to Ams von Kurowsky,1929)の土台となる。アグネスをモデルにしたヒロインのキャサリンは死ぬが、アグネスは他の男性との結婚を伝える別れの手紙をよこした(この手紙はオーク・パークのフィエスタで展示)。
イタリア軍の歩兵将校として戦場に戻り、イタリア政府から勲章2個を受勲。終戦後カナダの『トロント・スター』紙(Toronto Star)の記者となる。シカゴで短期間暮らしたときシャーウッド・アンダスン(Sherwood Anderson,1876-1941と知り合い、1921年ハドリー・リチャードスン(Hadley Richardson)と結婚、アンダスンのガートルード・スタイン(Gartrude Stein,1874-1946)宛の紹介状をもらって、『トロント・スター』の特派員として夫婦でパリへ。22歳にしてムソリーニ(Benito Mussoline)ら時の人に面会、ムソリーニに対する不快感がファシズムへの憎悪を掻き立てた。

作家活動の内容
パリの芸術家仲間とのボヘミアン暮らしは自伝『移動祝祭』(A Moveable Feast,1964)にも描かれている。
この生活から生まれた処女長編『日はまた昇る』(The Sun Also Rises,1926)が大ヒット、一躍人気作家になった。この作品とこの時期のヘミングウェイの生活との対比や、スタインから「ロスと・ジェネレーション(The Lost Generation)」と呼ばれた経緯についてはハンフリーカーペンター『失われた世代、パリの日々』(邦訳平凡社)に詳しい。
1927年、ハドリーと離婚し、雑誌『ヴォーグ』(Vogue)の記者ポーリン・ファイファ(Pauline Pfeiffer)と再婚。1928年、フロリダ最南端のキー・ウェスト(Key West)に住んだが、この年、高血圧と糖尿病だった父が拳銃自殺、ヘミングウェイに深刻な衝撃を与えた。1936年、スペインで内乱が起こると、ノース・アメリカン・ニュースペーパー同盟(North Amerincan Newspaper Alliance)の特派員として従軍、その体験をもとに『誰が為に鐘は鳴る』(For Whom the Bell Tolls,1940)などを出した。同年離婚し、この長編を捧げたマーサ・ゲルホーン(Martha Gelhorn)と離婚、中国に旅行して、キューバに落ち着いた。第二次世界大戦のさなかの1944年、45歳でヨーロッパ戦線に記者として従軍、同年8月記者仲間と従党を組んでパリのリッツ・ホテルを「解放」、酒造を開いて気勢をあげた。
同年もまたもや離婚、『タイム』誌(Time)特派員メアリー・ウェルシュ(Mary Welsh)と結婚、キューバのハバナの農場フィンカ・ヴィギア(Finca Vigia)と住む。4人の女性との結婚で、初婚でジョン、二度目の結婚でパトリックとグレゴリーの3男を得た。1952年中篇小説『老人と海』(The Old Man and the Sea)を発表、翌年ピューリッツァ賞を受賞する。1954年、再度のアフリカ旅行で飛行機が墜落して重症を負い、死亡記事まで出る騒ぎだったが一命を取り止める。同年へーベル文学賞受賞。高血圧と鬱病に苦しみ、1961年7月2日、アイダホ州ケチャム(Ketchum)の自宅で「自ら招いた銃傷」で死んだ。墓はケチャムにある。

◆作品について
△個と全体
ヘミングウェイは、二つの大戦をはじめ、数々の世界史を動かす現場に居合わし、またスペインの闘牛見物やアフリカ狩猟旅行を精力的におこなうなど、まさに「タフガイ」のイメージ通りの行動の人であった。文学的には不必要な修飾を取り除き、感情を抑え価値判断を際控えた「ハードボイルド」な文体の確立者として有名だが、それにはスタインの影響、アンダスン経由によるトウェイン的口語文体の伝統も無視できない。
ヘミングウェイを有名にした『日はまた昇る』(The Sun Also Rises,1926)は、第一次世界大戦後、新たによるべき価値をみいだしえない「国籍離脱者」の生態を描いた作品である。それは戦後の虚無的な空気に文学的表現を与えるとともに、個人の感覚だけを頼りに新たな倫理を模索する人物像を描き出している。 『武器よさらば』(A Farewell to Arms,1929)では、イタリア郡野戦衛生隊に参加した一アメリカ人青年が、戦争の無意味さに気づき、「単独講和」の名のもと戦場を離脱、恋人との愛に一時の心の安らぎを得るが、「生物学的罠」により恋人が妊娠、死産のすえ、恋人をも死なせるという悲劇を扱っている。作品の随所にあらわれる「雨」の情景が象徴するように、重苦しい戦争の影と運命の不条理を主題とした作品といってよい。
このように、「闘牛」にしろ「戦場」にしろ、「死」と裏腹な「生」の充実を、あくまで個人的倫理を追求するなかで追い求めていくのがヘミングウェイの特徴だが、そのような姿勢は左翼的社会参加を標榜する1930年代の文豪にその非政治性を非難されることになる。それに対し、ヘミングウェイは「人間一人では何にもできない」という言葉が有名な『持つと持たぬと』(To Have and Have Not ,1937)を発表、また、スペイン内乱に材を取った『誰がために鐘は鳴る』(For Whom the Bell Tolls,1940)では全体に奉仕する個というテーマを展開している。だが、後者では、その政治性よりも、スペイン語をふんだんに盛り込んだ生気あふれる会話による印象的人物像の創造を評価したり、主人公ジョーダンにみいだせるアメリカ的美徳のほうを重視する批評家が多い。
ヘミングウェイ文学の転機としては、むしろ、第二次世界大戦後に出された『老人と海』(The Old Man and the Sea、1952)に注目すべきだろう。この小説は、長い不漁の後、とらえた巨大なカジキマグロをふかに食べられてしまう老漁師の話である。そこには老人の不屈の精神、自然と対峙して怯むことのない人間の尊厳に加えて、無垢な少年の登場により、未来への可能性をうかがいあわせる肯定的人生観がにじみ出ている。リアルな描写、無駄のない文体、深みのある象徴性ともあいまって、この作品は、後期ヘミングウェイの代表作といってよいだろう。

△「ニック・アダムス物語」
ヘミングウェイは、ニック・アダムズという人物を主人公とした短編を『われらの時代に』(In Our Time,1925)をはじめいくつかの短編集に発表している。それらを点在していた短篇に未発表の作品が加えられ、フィリップ・ヤングの手により『ニック・アダムズ物語』(The Nick Adams Srory)と題して出版されたのは1972年のことである。これらを、ニックを主人公にした一連の作品はすでにD.Hロレンスにより「断片的小説(fragmentary novel)とよばれていたが、少年期から大人への主人公の成長の奇跡をたどるこの作品は、アンダスンの『オハイオ州ワインズバーグ』と並び、優れたイニシェーション(開眼)物語となっている。
また、自伝的要素が濃いため、自伝嫌いのこの作家に近づく手がかりとして重視すべき作品である。 冒頭の「三発の銃声」は、テントに一人残された幼いニックが不安に耐えかねて、父親らを呼びもどすべく合図のライフルを思わず発射するという物語である。ニックのいわば実在的不安が、夜の森を歩く行為によって触発される点に、自然に対する畏敬の念を抱きながら、つねに「辺境」を追い詰めたこの作家のその後を予感させる作品になっている。 「インディアン・キャンプ」では妻の難産に耐え切れない夫が自殺する場面をニックが目撃する話が語られているが、「生」と「死」のアイロニー、「性」をめぐる人生の不可解さは、そのまま『武器をさらば』など長編につながるテーマだといってよい。暴力的状況を前になすすべを知らない人間との運命の手ごわさを描いた「殺し屋」はヘミングウェイ流「ハードボイルド」文体の極地とういべき作品で、ファウラーなどの言語学者による文体分析の好個の対象となっている。
もっとも有名な「二つの心をもった大河」は一見、ニックの鱒釣りを淡々と綴った短編のように見えるが、焼野原の情景や、「身を横たえて」におけるニックが不眠症に悩まされながら、鱒釣りのみを頭に重い浮かべていた場面を考えると戦争の傷跡にさいなまされる主人公の自己回復の物語とも読める。作品冒頭でニックは汽車(文明)から降り、火事で焦土と化した草原を歩み、草の茂った低地の川原でテントを張る。翌日、彼は鱒釣りに出かけるが、衣・食・住にわたるリアルで詳細な描写は、ソローの『ウォールデン』を思わせる。彼は、テントが「自分の手で作った自分の家」のようなきがして安心を覚えるが、ここには、自己を取り戻した男の自信すら感じられる。だがその自信が、自然と文明の危うい緊張感のうえになりたつものでしかないことを、ヘミングウェイはみのがさない。ニックが破局、沼の深み(自然)に入ることを自らに禁じる場面でこの作品は終わっているが、<自然>対<文明>というアメリカ的テーマの変奏がここにもみいだされて興味深い。